小学生の頃、ひょっこりひょうたん島を見て 将来人形を作る仕事をしていると信じて疑いませんでした。 実際に人形を作り、その人形で人形劇をしたりもしたそうです。 中学生のときには漫画を描くようになり、 学校に漫画クラブを設立させるなどしました 高校の頃にはバンドを組むなどをしました 大学には5年間というちょっと長めに在学していました。 さらにコンピュータというものが大嫌いだったそうです また、商業デザインのようなものはあえてしないで あえて人とは違うものを作るということを主に考えていたそうです 任天堂に入ってからはアーケード筐体のデザインなどをしていました あるとき、シューティングゲームが売れ残り3000台という多量な在庫を抱えてしまいました この在庫の処理を任された宮本氏はプログラム改変でドンキーコングをつくりあげ それが世界で6万台も売れるヒットとなりました ・・・が、結局それも売れ残り在庫が6000台になり 結局、増えてしまいましたとさ。 宮本氏にターニングポイントが訪れました ドンキーコングがキングコングの権利を侵害していると訴えられたのです この裁判はアメリカの大企業に東洋の小さな企業が勝つということで話題になりました また、この裁判でドンキーコング製作の経緯をこと細かく聞かれ 宮本氏が重大な役割を果たしていたことがわかり、会社から今後ソフトデザインに専念するようにいわれました このときにクリエイター宮本茂が生まれたのです この時にドンキーコングを作ったスタッフは引き抜かれることもなく今なお任天堂にいるそうです マリオブラザーズではマリオとその弟、ルイージが登場します マリオの名前の由来は有名な話なので割愛します ルイージの名前をどうしようかアメリカに聞いてみたところ イタリアで(マリオはイタリア系の名前)もっともポピュラーな名前はルイージだといわれ 日本語の類似とかけあわせてマリオとルイージができたのです ちなみに、カービィの名前は桜井氏の製作段階ではティンクル・ポポでしたが あまりに幼稚っぽいのでどうしようかとこれまたアメリカに聞いたところ ドンキーコング裁判で弁護士を務めてくれたジョン・カービィ氏の名前をもらったということです ちなみにジョン氏は顔が赤みかかっていたそうです スーパーマリオを出す時、ファミコンはすでに300万台売れており そろそろファミコンのパワーアップ版を出さなければと思っていたそうです 今までのノウハウを生かした集大成を作ろうということでスーパーマリオを製作して 山内社長に見せたところ「おお、陸海空か!これは売れる!」といわれたそうです ご存知のとおりこれが大ヒットをしてファミコンは終わるどころかまだまだ延びつづけました そして来たるスーパーファミコンでは、スーパーマリオ完成の頃からの構想にあった 「恐竜に乗って冒険」ということが表現可能になり実現させる上で あまりにリアルなのは避けようと、かわいらしいヨッシーが誕生しました 64になって3Dの世界が広がりました この時、宮本氏が飼っていたハムスターを部屋の中に放したときに 部屋中を駆け回るのを見て、3Dのマリオはこれだ!と思ったそうです 3Dゲームというものはパソコンの分野で既に発展しておりそれらを参考にしようとしましたが、 どれもこれもスペックを意識した処理の軽めな主観視点ばかりでした しかし、やはり自分の姿が見えないとダメだということで結局どれも参考にはできなかったそうです そしていざ自分のキャラを映してみると、今度は視点の問題が出てきたのです 主観視点だと気にしなくてよかったものが新たな問題を生んだのです ここでジュゲムを使いカメラシステムを開発しました。 ゼルダ64では馬に乗ること、コントローラをオカリナにみたてて吹いてみたいこれらがきっかけで生まれました また、ゼルダという作品は操作していて操作自体が楽しいギミックをふんだんに詰め込み それらを組み合わせ、うまく生かしたストーリーを作るという製作スタイルで作られています このぜるだはテーマが成長なので子供リンクだけでなく大人リンクも存在します 基本的にリンクは子供なので、大人リンクが出るのはこの作品だけです ピクミンは任天堂はマリオばかりだといわれていたことと、女子高生にも人気のあるキャラを作ろうと そういう背景で作られました。また宮本氏の庭がテクスチャに使われているというのはウソです この素材は京都の稲荷山というところで素材を集めたのですが、 宮本氏が近所に住んでいたこととガーデニングにはまっていたことから生まれました噂です ゼルダの伝説風のタクトは時のオカリナよりも冒険というものに重点を置きました アニメ処理による爽快なアクション表現がそれらを引き立ててくれています と、ここまで話したところで終わりの時間となってしまいました。